• tWqOQS10月24日
    返信先: @自分 母親のメッセージも結局フェミニズム的プロパガンダでしかない。「もう誰も」と述べているにもかかわらず、「男性」という言葉を強調するのはボロが出ているところだ
    その上主にエノーラによって「役立ずな男の子」「非力で傲慢」などと、不必要な修飾が男性キャラクターを表現している
    「『男に』参政権を!選挙権を!」と叫ぶロンドン市民にもそれが現れている
    その一方、出てくる「強い」女性は男性に挑戦的。よく口がまわり相手を言い負かすシーンが多い(単に呆れられてるだけにしか見えないが)
    一方で時代に順応している女性、つまり男性側でありフェミニズム的ではない女性は悪しく描かれ、エノーラに痛い目に合わされる役割で視聴者の溜飲を下げるための装置。女校長がいい例
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  • スレ主(tWqOQS)10月24日
    返信先: @自分 さらにはあれだけ探し求めた母親がエノーラの手ではなく自ら姿を現すのはエノーラの主人公性すらも貶めていて、絶句したシーンだ。作中の事件に絡めて最後のどんでん返しとして主人公の主目的に繋がるようにした作品はいくらでもあるが、これはそうではない。それだけでミステリーとして三流だ

    全てが【女性が気持ちよくなるための装置】として動いており非常に歪で気持ちの悪い出来
    エノーラの無鉄砲さ、向こう見ずさも、年若い少女だからと納得することが出来るが、前述の通りとにかくストーリーラインのための全てが気持ち悪いデザインになっている
    そのあたりを飲み込み、「ああ、これこそ私の求めていたものだな」と思う人だけが楽しめるのでしょう。男主権の体制が気に入らない人、あらゆる細部が気にならない人

    ミステリーとしてのつくりも正直お粗末。そこがいちばん期待して見始めたのにという怒りが一番強い。ミステリーさえまともならエノーラの気持ち悪さも飲み込めるものなのに