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とてもわかりやすい文でした。一般的には生きづらさは家庭環境に起因しやすいという話ですね。
自分には選択できない範疇のことで悪い影響を受けてしまった=損だ、というのは、家庭環境起因の生きづらさはその後の人生の不運より重い損、という捉え方だと仮定します。
ACと愛着障害の下もなるほどなぁと読みました。
このナリ心理学では、もう親はどうでもいいから自分を生きようぜ!親ガチャ当たりの人は最初からそれが選択できるけど、外れの人できてこなかったのは親のせいだから、それらの損切りをして前を向こうという教えっぽいです。
親を許す、というのできる人とできない人が別れるのではないかなと思うし、それも、私からすると違和感を感じる感じです。許さないと自分の人生生きれないのかというと、違う気がするからです。
飛躍しますが、恐らく私は「健全な生き方」みたいな正解があるという前提で、人生の問題解決しようという取り組み自体に違和感があるみたいです。これはコメ主さんからの気づきでしたが、私は多分、出発点を家庭にあったとする、という所から違うと思ってるのかもしれません。(おい!!ってなりましたね…すいません)長くなった上に段々論旨と外れましたね。 -
親や兄弟との関係が初めての人間関係なので、家族中で経験したことはその後の人間関係や人生経験と比べてもやはり重要になってくると思います。
家庭環境の不運はその後の人生で経験する不運と重みが違うというか。
今の大人の自分が抱える心理的な問題の原点は家族関係にあるのではないか?というのは一般的なアプローチだと思います。
親ガチャという言葉は「自分のせいではないのに、たまたまこんな環境に生まれてしまったせいで不幸だ」という恨み節が多分に含まれた言葉だなーとは思いますが一理あるというか、自分には選択できない範疇のことで悪い影響を受けてしまった(=損だ)という側面は実際あると思います。
結構な割合でACの人がいるというのは実際そうで、ただACというは病気ではないので本人が生きづらさを抱えている場合には対処した方がいいという感じで程度の問題かなと思います。
愛着障害も近しい感じでACとオーバーラップしてる部分があると思います。子供の時にうまく愛着を形成できないまま大人になった人に対してはどちらかというとインナーチャイルドワークみたいなことが行われる場合が多いのではないかと思います。
自分の中に安全基地を作る、とかよく言われてるように。
真っ当なカウンセラーさんは親を恨んで終わってはいけないと言ってると思いますよ。出発地点は家庭環境にあったことを認めた上で、じゃあ今の自分の問題を解決するにはどうしたらいいか?を考えようね、とか。親を許す、という言い方をしてる人も多いです。
親を憎むところで止まってしまってる人が多いよね、という点については同意です。
長文になってしまってすみません…。