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教えてぐちったー
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T.mkLM2023年2月9日ナリ心理学という高額セミナーやってるブロガーが、「毒親や子供に嫌われる親など、頭の悪い親いる人は親ガチャ外れて人生損した事を認めて、自分は悪くないと思った方がいい」という解釈してるんですが、親ガチャ外れたというか人生自体損得で捉えるのって無理があると思うんですがどう思いますか? -
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1、親は頭が悪いもう、手遅れ
2、私は親ガチゃミスって人生損した。
3、その損は取り返せない
4、私はなんの問題もない。
1はわかるんですが、2から下はなんかおかしいなと思います。それじゃ貧乏な生まれは損とか、障害を持って生まれたら損とか、ブスだったら損とか「生まれたスペック」で損得判断する事になってしまいますよね。だけどそもそも人生って生まれてすぐ死ぬ人もいるのに、損得でジャッジするのおかしくない?と思いました -
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調べたら65万でした。しかも10日とかです…
あーなるほど宗教ですね。
確かに、そこで損だったと認めて自分に必要なものを探したらこのセミナーでした!ってなるかもしれませんね、不安を煽られた頭が悪い人にとっては… -
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アダルトチルドレンとか毒親に対してどう対処するか?という意味だとすごく一般的な内容だなーという印象です。
敢えて"損得"という言葉を選んでることはあまりない気がしますが、他のカウンセラーさんや精神科医・心理士さんも似たようなこと言ってると思います。
自分は不幸だった、不運だった…とか。言葉選びが違うだけかなと思います。 -
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このちょっと教祖気味のブロガーの主張は、おっしゃる通り途中までは一般的な解釈なんですが、不幸や不運はおいといて、損得というレベルに落とすのは無理があるなと思ったんですよね。
余談ですが、私はアダルトチルドレンという言葉は語弊がある広まり方をしていてあまり間に受けてないんです。ACも結局は「失ったものを取り戻す」事が出発点な感じがしてあまり釈然としないんです -
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私も損得勘定は変な感じがしますけど、毒親に育てられた人はとにかく自己肯定感が低いので、ひとまず現状が悪いのは自分のせいではない、ってことが言いたいんじゃないですかね。そういう意味ではよくある言い回しと思います。
損得ジャッジがおかしいのは同意です。理解はできませんが、世の中には変な損得勘定(他人が得すると自分が損する等)する人がいるから、刺さる人にはささるんじゃないですかねぇ。 -
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ナリ心理学って見かけたことはありますが詳しく知らないです。
うーん、個人的には不運って言い方と損って言い方で合いたいことにそれほど差は無いと思うんですが、主さん的には人生全体を損得で考えようとしてるところが引っ掛かってる感じですかね。
アダルトチルドレンって言葉は間違って捉えられていることも多いと思いますが、私は単に認知の歪み(生育過程で間違った学習をしてしまった)を持ったまま大人になりその結果生きづらさを抱えている人、と考えてます。
実際AC専門のカウンセラーさんは認知行動療法的なアプローチを取っている場合が多いですよ。 -
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コメ主さんの文とてもわかりやすいです。そう書くならわかるんです。
もう一つ踏み込むと、現状が悪いのは何もかも毒親に起因するという視点も問題があると私は考えています。少なくとも複数あると思うので…
損得ジャッジはやはりおかしいですよね。それで言うと江戸時代の封建制度は今の感覚というと全員毒親なので、その時代に生まれた人はみんな損、という捉え方になってしまいます。
(長くなってすいません)
他人が得すると自分が損する、という損得勘定だと、AC家庭ではない生まれの人を見てあの人は得してる!と決めつける事にもなりますよね。そういう意味でも、そのジャッジ視点が、むしろ生きづらさの根源なのではと感じます。 -
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見た事ある方初です!
仮に不運=損だとしても、生まれは運が良くてもその後大変な目に遭う人もいるしそもそも一般化が無理では?と思うんですね。
ACの定義付けありがとうございます。わかりやすいです。その定義でいくと、日本人全体の幸福度や肯定感は低い傾向にありますが、結構な家庭がACになってるような気がするんですね。(肌感ですが)多分、著しく顕著に、というところで分けてると思うんですが、それはACというか愛着障害とかもっとふわっとしてない概念の方に入るのでは?と思ったりもします。(専門家ではないですが)
まとめると、親ガチャ、ACという損得勘定の発想から立った視点で生きると(私からするとACも損得勘定に入る)、こういう高額セミナーに引っかかったりするので、もっと広い視野を持つ必要があるのでは?という感じです -
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色んな視点を知りたかったですが、同じ人もいらした。ありがたいです。
親ガチャというのは、スラングの域を出ない概念だと考えてます。心理用語と並列にするのは危険です。まさに人に何かを伝える際に使うには適切ではないです。言い聞かせ、まさに。というのは、では生まれた時点でガチャ(運命)決まるのであれば優生思想という考え方に行き着きます。
人生を損得基準で捉えるという視点は、毒親によって損させられた過去はどうしようもない、その間得してる人もいた、という事ですよね。しかし、損とはなんなのか?本人の素質や体質など様々な要因が関係して人間は出来上がるので、親を消費財産のように捉える考え方は違和感があります。では、事故で両親とも失った人は「損」なのでしょうか。損得勘定には限界があると私も思います。 -
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なるほど、そうですね。
親や兄弟との関係が初めての人間関係なので、家族中で経験したことはその後の人間関係や人生経験と比べてもやはり重要になってくると思います。
家庭環境の不運はその後の人生で経験する不運と重みが違うというか。
今の大人の自分が抱える心理的な問題の原点は家族関係にあるのではないか?というのは一般的なアプローチだと思います。
親ガチャという言葉は「自分のせいではないのに、たまたまこんな環境に生まれてしまったせいで不幸だ」という恨み節が多分に含まれた言葉だなーとは思いますが一理あるというか、自分には選択できない範疇のことで悪い影響を受けてしまった(=損だ)という側面は実際あると思います。
結構な割合でACの人がいるというのは実際そうで、ただACというは病気ではないので本人が生きづらさを抱えている場合には対処した方がいいという感じで程度の問題かなと思います。
愛着障害も近しい感じでACとオーバーラップしてる部分があると思います。子供の時にうまく愛着を形成できないまま大人になった人に対してはどちらかというとインナーチャイルドワークみたいなことが行われる場合が多いのではないかと思います。
自分の中に安全基地を作る、とかよく言われてるように。
真っ当なカウンセラーさんは親を恨んで終わってはいけないと言ってると思いますよ。出発地点は家庭環境にあったことを認めた上で、じゃあ今の自分の問題を解決するにはどうしたらいいか?を考えようね、とか。親を許す、という言い方をしてる人も多いです。
親を憎むところで止まってしまってる人が多いよね、という点については同意です。
長文になってしまってすみません…。 -
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とてもわかりやすい文でした。一般的には生きづらさは家庭環境に起因しやすいという話ですね。
自分には選択できない範疇のことで悪い影響を受けてしまった=損だ、というのは、家庭環境起因の生きづらさはその後の人生の不運より重い損、という捉え方だと仮定します。
ACと愛着障害の下もなるほどなぁと読みました。
このナリ心理学では、もう親はどうでもいいから自分を生きようぜ!親ガチャ当たりの人は最初からそれが選択できるけど、外れの人できてこなかったのは親のせいだから、それらの損切りをして前を向こうという教えっぽいです。
親を許す、というのできる人とできない人が別れるのではないかなと思うし、それも、私からすると違和感を感じる感じです。許さないと自分の人生生きれないのかというと、違う気がするからです。
飛躍しますが、恐らく私は「健全な生き方」みたいな正解があるという前提で、人生の問題解決しようという取り組み自体に違和感があるみたいです。これはコメ主さんからの気づきでしたが、私は多分、出発点を家庭にあったとする、という所から違うと思ってるのかもしれません。(おい!!ってなりましたね…すいません)長くなった上に段々論旨と外れましたね。 -
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すいません、返信はなくても大丈夫です。
というのは、私の家庭は親がいわゆる毒親で3兄弟の真ん中なんですが、確かに色々問題はありましたが、私だけ頭が良くて他二人のような極端な歪みが起きなかったんです。これって、同じ親なのに受けてる影響がそれぞれ違ったという事なんです。だとすると、家庭環境も確かに大きいですが、本人の持って生まれた資質や捉え方で、大きく変わる気がするんです。問題の根本原因を親とする、というのはなんかその辺私としては引っかかるんですね。
しっかり分析してくださったのに、後半ちゃぶ台返しのようになってしまったので、理由を添えました。
長々と失礼しました。 -
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ええ、そうなんです。言ってる意味はわかるんです。結局その後天性なり先天性の環境や身体で生きる事になるので、それが前向きに生きる手段になるならいいけど大体は(親ガチャ失敗だから生きづらい)と原因に戻ってしまうだけな気がします。 -
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まず学習能力とその他の心理的な影響(具体的に言うと不安が強いとか、自己肯定感が低いとか)は分けて考えた方がいいと思います。
前者は遺伝による影響が大きく、後者は幼少期の生育過程による影響が大きいです。
主さんの仰っている"歪み"が前者のことを指しているのであれば単に遺伝的な差が出ただけだと思います。後者を指しているのであれば、"主さんにはたまたまネガティブな影響が出なかった"と考えるのが正しい理解で、自分の生育環境には問題がなかったはずだ→だから親のせいではない→生まれつきの性質だ・自己責任だ と考えるのは少し待ってほしいなと思います。
幼少期の生育環境 と言うと親子関係にフォーカスされがちですが、自分以外の兄弟の影響も大きいです。
このあたりはカウンセラーの根本さんが兄弟姉妹の心理学という本を出されてるのでもしご興味があれば…ですが、1人の子がやんちゃだとバランスを取って他の子がわがままを言えなくなったり、1人の子を親が叱っているのを見て育った子は「ああいう行動を取ると愛されない」と無意識で学習して自分の行動をコントロールするようになります。
そうやって学習した負の解釈が大人になっても影響します。
なので同じ親のもとで同じように育ったとしても、兄弟間でその環境から得る"解釈"は異なります。
人間はある物事が起きた時に現実をありのままに捉えることはできません。必ず自分なりの解釈が入ります。認知行動療法の基本となる考え方として、事実→解釈→感情→行動というステップを踏みます。
この"解釈"(≒認知)に歪みがあることで様々な生きづらさが生まれます。そのためアダルトチルドレンの克服はこの認知の歪みを正していくことになります。
で、ここまでの話とは別の視点から言うと、今の自分の考え方や性質は「生まれ持ったものだ」と理解しようとすると、それこそその人はただの"不運な人"になってしまいできることが何も無くなります。
なのでそういった観点からもまずは自分の幼少期の経験に何か原因が無かったか?を探ろうとするのは間違った取り組み方では無いと思います。
長々と失礼しました! -
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追記:
といっても心理学にもいろんな流派がありますから私が言ってることが正しいわけでも無いです。
アドラー心理学なんかではまったく違う考え方してますし。
ただナリ心理学さんについて主さんが書かれてるような内容を拝見する限りでは、少々表現が乱暴というか雑ではあるかなと思いますが、割と一般論的な内容なのかなーという印象でした。 -
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その人を知らないですが、「自分は悪くないと思った方がいい」ってところがミソなのかもしれないです。
自分のせいで自分が不幸だと思うとメンタル病みますから、他人に理由を求めた方がまだ心の安定にはなるのかと。
にしても本当にダメな親は世の中にいますが、「裕福ではない(貧困までは行かないが十分に中流の域)」や「子供に厳しめ」程度で「親ガチャ外れた」というのは個人的に好きではないです。 -
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すみませんね、返す返さないはコメ主さんの自由で構いませんので、とても有意義なので返信させていただきますね。
学習能力→遺伝、不安感→後天性という事ですね。
実は兄弟間で感じ方や捉え方が変わるというのは聞いた事あったんですが眉唾だなぁと思ってしまってました。これも解釈ですね。
つまり、私の解釈なしで書くと
いわゆるAC克服の認知行動療法というのは、兄弟や親から影響を受けた幼少期の養育環境が原因の認知の歪みを正す事によって、生きづらさを解消する、という方法なのですね。
で、ここからがすごく重要な話だと思ったんですが、初めに私がブロガーの主張に指摘したように、親ガチャだからしょうがないと受け止めて諦め、今までの損は悲しいけど事実だとする=ご指摘通り、ただの「不運な人」ですよね。たとえそこから前を向いて生きても、損は取り戻せませんから。損は損です。
そこで、認知行動療法で、生まれ持ったものではなく養育環境によって認知が歪んでたんだよ。となったとしても、やはり「ただ認知が歪まされた過去を修正し直す」だけだと確かに損だなーと思います。ACじゃなかったら不必要な行程ですからね。
でも、私はそもそもACかそれ以外かに関わらず、真剣に自分の人生に向き合ってる人ってものすごく少ないし、そこから派生するトラブルが世の中のほとんどの問題と直結してる気がするんですね。
私は、真剣に人生と向き合った人が、より深い視点で生きていけるのなら、物質的な豊かに直結はしないかもしれないけど、悪い事(=損)とも言えないのではないかと思うんです。
つまりAC=親ガチャ外れ=損という三段論法はやっぱ短絡的で、人間万事塞翁が馬というように、災い転じて福と成すかどうかはその人の解釈、認知次第ではと考えています。 -
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えっ…?シンプルに鋭くてびびりました。
私は損と思ってないから行かない
後ろ向きに生きると認めた人も行かない
損だと思い前向きに生きたい人←ターゲット層
そしてこの層に刺さるように特化したセミナーだとすると、なんかマルチのセミナーと似てる気がしました。これ核心なのでは…
会社員損だと思ってないから行かない
会社員損だと後ろ向きな人も行かない
損だと思い稼ぎたい人←ターゲット層
みたいな…あーこれ、すっきりしました -
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まあ65万で前向きに生きれたらそれで元は取れたと思えるかもしれないし、それはセミナー行く人の自由ですしね。それで教祖ができて心身安定するかもしれないし。
私はそんな不自由はイヤですが… -
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あ、その通りで一旦人のせいにしてみようという考え方が根底にあるみたいです。そこでしっかりキレて、落ち着いたら自分の人生に向き合おうよという理屈みたいですね。
もちろんいますね。そうですね、多分親ガチャ外れたという人はほとんど親が自分とまともに向き合ってくれない人だったんだと思います。
ただ私は仕事してて親世代の人見ると「この中でまともに子供と向き合ってる親いるのかな?」と、思うので少なくとも日本のほとんどの子供はいわゆる親ガチャは外れだと思います。国ガチャは良かったかもしれませんが… -
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というか親に求められるものが多すぎるなと思います、子供をまともに育てるだけの稼ぎがあって子供のケアもできる心の余裕や知識や考える力もあって……ってそんな立派な人間自体がたくさんいると思えないです。
不満がいくつかあっても成人するまで虐待等なく育ててもらって心身共に健康なら十分じゃないのかなと。
私は子供を産む気のない人間ですが、「当たりガチャの親」なんてこの世に何人いるんだよと思ってます。 -
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確かにです。逆に言うと、本来親になるってそこまで大変な事だったんだけど、有史以降ようやくここまで来た感じですよね。
江戸くらいまでは口減らしもあったので、ある意味毒親という概念は現代的です。
おおむね賛成なんですが、精神的自立もままならぬまま世間体で結婚して子供と向き合わない親が多すぎると、そこはやはり思います。それは不満というレベルを超えてしまうんですよね。どういう親かと言うと、精神面で子供に依存してしまう親です。夫婦間の問題を子供に愚痴って解決させようとしたりですね。
そもそもいくら教育が発達しても、おっしゃる通り大多数の人間なんてそんなもんなのではないかなと思います。
だからやはり「当たりガチャ」自体少ないと思います。もし、当たりガチャがスタンダードだったらぐちったーやツイッターはもっと平和なはずですよね。 -