詳細を閉じる
AセクAロマったー
AセクAロマったー
無性愛者故に思う事を書き込める場所です。
原則として【アセクシャル・アロマンティック・その両方】のいずれかに該当する当事者のみが書き込めます。
当事者ではないが理解を深めたいという方、該当するか悩んでいる方等からの肯定的な内容であれば歓迎する方針です。
愚痴も書き込めますが、他のセクシャリティ全体を貶すような差別的な内容は控えてください。(例:異性愛者は全員気持ち悪いから氏んでほしい等)
共感し合う場として設けています。共感できない内容や、当事者以外からの否定的な書き込みには反論せず非表示をお願いします。
原則として【アセクシャル・アロマンティック・その両方】のいずれかに該当する当事者のみが書き込めます。
当事者ではないが理解を深めたいという方、該当するか悩んでいる方等からの肯定的な内容であれば歓迎する方針です。
愚痴も書き込めますが、他のセクシャリティ全体を貶すような差別的な内容は控えてください。(例:異性愛者は全員気持ち悪いから氏んでほしい等)
共感し合う場として設けています。共感できない内容や、当事者以外からの否定的な書き込みには反論せず非表示をお願いします。
132ページ目
1作目の続編が出ると話題になった時に私が聞いたのは「ガールフレンドを作って(ここでは女性の恋人という意味)」運動だったわ
すごくもやもやかつ嫌な気分になった
「『女性主人公には男性のお相手が必須』ではない」を描いた作品だからって「そんな女性主人公にあてがうべきは女性のお相手」となるわけじゃないだろ、と
「女性主人公には異性であれ同性であれお相手が必須というわけではない」になぜならないのか
実際の作品は見ていないけど結局そういう展開にはならなかったみたいでよかった
でも女性主人公だから当然お相手は必要だよねといわんばかりにそういう相手をあてがっている作品の方がそうじゃない作品よりはるかに多いから暗澹たる気持ちになる
お相手が異性じゃなく同性ならヨシとはならないんだよこっちは
序盤でエルサが歌う歌詞に「愛した人達はここにいる」という記載はあっても「みんなと違うと感じてきたの だから心が望むの 未知の旅へ踏み出せと」とあり、そこから旅に出るけど、まあ自分のルーツを追う旅でもある感じなんだよね 試練も色々あったりして
でそもそも自分を呼ぶ声に呼ばれてエルサは旅をしていたので、最終的には声の主のところに辿り着くんだけどそこに誰もいないのよね
ロマンス物なら「あなたを呼んでいたのはこの私」と誰か出てきそうなもんなのに出てこない
そして自分の真の姿を知ったエルサは自分の力を自由に使い、誰かと恋愛的に結ばれなくても自分の居場所を見つけるんだよね
うちの家業、公益性が高いから廃業するに廃業できない+家業を支える私財の管理が無駄に手間で一族以外に任せられない、のコンボで、たぶん今時にしては跡継ぎがいないとまずい部類にあたるんだよね。
本家の従兄は、跡を継いで、良いお嫁さんもらって、男子をもうけて育てる、以外の選択肢が最初から全くなかったと思う。本家の男は悠々自適だから、よほどの志がない限り出て行くモチベないし。
女にとってはあまり良い環境でもないので、叔母や従姉たちは、各々の親が許す形で早々に結婚して実家に顔を出す気配もない。
私は性質上恋愛できそうにないし、結婚で幸せになれる気もしないので別√をとるけど、それはそれとして、自分で選んで信じた人と一緒に、実家とは違う暖かい家庭を築く、っていうのにはやっぱりちょっと憧れる。昔の人が恋愛結婚を称揚した気持ちもわかるよ。
多分「爽やかな曲調で他人を物扱いする様を歌い上げてて気持ちが悪い」と思ってるんだと思う
これに「髪が触れた」とか「キスがしたい」とか「眩しい裸足」系が被ってくると更に耳を洗浄したくなってくる
逆に物寂しげな曲調や荒々しい曲調で情念だけ歌ってるのは割と平気
「あなたは私の全てだしいなくなったら生きていけない」までいくと「お、おう」ってなるけど「いなくなってしまったけど、あなたは今でも私の光」なら普通に聞ける
いなくなった誰かを偲ぶとか、sei愛ではない愛情表現なら個人的には受け入れやすいのかもしれない
あるいはこうド直球にsei愛恋愛を歌われると、そういうのが好きな人にとってはキラキラして見えても、自分としては現実世界の嫌な思い出の再演されてる気持ちになるのかもしれない
異性を必要とせず、家族(兄弟姉妹)と「生きる場所が違う」と認識して離れてそれぞれ生きていく、って、そんなに異様に映るものなのかな?
どんなに仲が良くても、相互理解さえ出来ていれば「『一緒にいること』が最適解とは限らない」ってことくらいは分かるものだろう、少なくともあの映画ではそれが充分に描かれていただろう、って思ったんだけどな…。
91ページに纏まっててサクッと読める、図解もあってわかりやすい
日本ではAセクAロマはまだまだ認知がない、ということで著者の方が海外の論文を調べたり、実際結婚をしないAセクAロマの人がどう暮らしているか簡単に紹介したり、よくあるQ&Aについて回答してたりする内容
海外のAセクAロマの本読んでみたいけど分厚いし何か難しそうだな……という人にもお勧めできるかも
個人的にはエースドラゴン、というシンボルがあるの初めて知ったけど滅茶苦茶気に入った!まさに自分がその通りだったので(sei行為するより強くてかっこいいドラゴン見てる方が楽しい、いわゆるsei行為よりケーキを食べる方が楽しいのドラゴン版)
やっぱり恋愛したくないし少なくとも異性と結婚したいとも思わない
出産は……まあそうだな、産んだら多分可愛いんだろうけどそもそも産むの自体命懸け、生まれたら生まれたで物価は高いわいじめに対するケアが十分とも言えないしsei加害はまだまだあるし結局LGBTQ教育は義務教育中にはないこともあり、あったとしてもAセクAロマのことは載ってない可能性がある
仮に産んだとして、自分の子供がAセクAロマだったらどうする?また自分と同じような苦しみを味わうのか?とかつい考えてしまうし、そうなると産むのはないな……とか思ってしまう
基本、音楽聴くときは歌詞の意味を気にせず聴いて「楽器の音と全体のメロディと歌声のバランス」を重視してるけど、後で歌詞を見て「良い曲だと思ったのにこれも恋愛ソングかよ」ってげんなりすることもある。そのくらい【恋愛要素】がノイズになる。
這ってでも足掻いてでも生き抜いてやる!みたいなエネルギーを爆発させてるような曲が好きなのと「言うて恋愛ってそんなお綺麗なもんでもないだろ」っていうので、もう本当に苦手だわーっていう愚痴。
執拗に服を選ばせようとさせられたり
筋トレしているアピールをされたり
会いたいとか言われたり
そういうことに気持ち悪さを感じてしまうのは許して欲しい。
相手に言わないし、我慢するから、
思うのだけ、ここで吐き出すのだけ許して欲しい。
自分だけじゃなかったんだと思える
その人の主観で書かれてる記事とは言え恋愛って人生を充実させるために必須条件なんだとショックだったし、何か改めて欠けてる人間って言われたみたいでそっ閉じした。
これもAセクAロマ認知向上のためと、アライの人がAセクやAロマの情報にアクセスしやすくするために設けたものらしい
世界Aセクの日が4/6らしいのは知ってたけどいろんな取り組みがあるものなんだね
こうやって認知向上していったら、いつか「好きなタイプは?」とか「恋愛しないなんておかしい」とか言われないようになるだろうか
同性愛者の人も「対象が異性か同性か」で悩むことはあったとしても「誰かと一緒になりたい」って点では根底が同じなんだろうなーって思う。
だからこそ「そもそもそんなことを考えもしない、理解できない」っていうこっちの感覚が想像もつかないんだろう。
そりゃ「良い人にまだ出会ってないだけ」みたいな頓珍漢な発想になるわな。
少なくともLGBTQの人たちはもはや病気扱いはされないし、同性愛はWHOの精神疾患から何十年も前に外されてるわけじゃん
なのに何でAセクAロマはやれ診断だの病気だの「つまり恋愛わからない病なんでしょ?」とか茶化されたりしないといけないのかなって
まあ多分LGBTQ自体はこの恋愛至上主義社会を否定するものではないだろうし、他人にsei的に惹かれないもしくはsei交欲が湧かないのがまだ病気扱いされてるからかなとは思うんだけどさ(ちなみに海外では一応sei機能障害を診断するにあたり、例外としてすでにAセクを記載しているそう)
でも、どうしても「自分の指向を病気扱いされる気持ちがわかる?」と社会に対して言いたくなる時がある
『創造』とか『生命体』みたいな、恋愛要素の無い曲はめちゃくちゃハマってリピしまくってるのに、こんなところにまで恋愛わからない病を持ち込まなくてもいいだろうよ……って自分にツッコミを入れるなどしている。まあラブソングがハマらないのは昔からなんですが…
気になってはいるんですけど、かえって「Aセクとはこうなのが当たり前!そうでない人はおかしい!」みたいな雰囲気があっても困るので…
参加はしてみたいけれど、少し怖い気もする自分がいます。