• 5yL8012月26日
    自分がAセクなのかわからない
    二次元の男なら惚れることはあるしBLは嗜むけど、三次元(俳優とかも含む)にときめいたことは一度もない、好みのタイプを聞かれてもいないので言葉に詰まる、コイバナはその場にいるのも嫌なレベル、創作の恋愛展開も好きじゃない、なんなら人間の容姿自体もあまり好きじゃないから赤ん坊も可愛いと思わない
    結婚とか子育てとか生殖に関わる話も全部苦手
    父親の愛情に飢えてる毒親育ちアダルトチルドレンなので、単純に「恋愛をしたい」という心理段階に進めてないだけな気もするし、どうせ誰にも愛されないからと自己防衛で「興味がない」と思いこもうとしてるだけな可能性もある…
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  • BnbVu22月26日
    二次元の人に「惚れる」のは、自分がそのキャラとセイ的なことをしたい感じがあるかとか、そのキャラが自分に向けてセイ的な目で見てきたとか色々考えた時、自分が肯定的な気持ちになるならデミセク(特定の人にのみセイ的に惹かれる指向のこと。Aセクのグラデーションの一つ)かもしれないし、否定的な気持ちになるなら誰にもセイ的な惹かれをしないAセクかもしれない
    (ただ特徴が当てはまったからと言って、自分がその指向を名乗るのが嫌ならそうしなくていいし、他人から「こうでは?」と言われて嫌ならそれも渋々了承しなくてよい セイ的指向は自分で決めるから意味があるので)
    惚れる=大好き!だとして、じゃあその「大好き!」は一体どう言う感情なのか?「セイ的なことをしたい」のか?「セイ的なことはしたくないけど、ただこれ以上なく大好きという感情がある」のか……あと「独占欲はあるか」も考えの一助になる気もする これはどちらかと言えばロマンティック指向に関する話だけど→
  • BnbVu22月26日
    返信先: @自分 →日本では恋愛感情がある=セイ的なことをしたいはず、という価値観が長らくあったせいでなかなかアロマンティックという言葉が定着しなかったくらいだそうなので……「AセクでAロマなのか」「Aセクでロマなのか」を考えてみるとより自分のことが分かっていいような気もする 自分も散々悩んだので気軽に考えろとはなかなか言いづらいけど……そして自分も別の理由だけど自尊心がドン底だったので「どうせ自分は愛されるわけがない」という感情はあったし、実際「そうやって『どうせ自分なんか』と思っているから恋愛から逃げている」と言われたことがある 
    でそうやって詰められるのが嫌だったから、恋愛をしようと頑張ってみたけど余計に嫌だったし、「どうせ自分なんか」という気持ちは「どうせ自分はこんなだから、自分にとってやりたくない恋愛もしないといけないし、そこに拒否権なんかないんだ」という余計重たい自己否定になった→
  • BnbVu22月26日
    返信先: @自分 →結局しんどくなって恋愛しようとするのをやめたら自分が戻ってきた感じがあって「ああ本当にしたくなかったんだなあ」と納得した記憶がある
    なので逆にというとあれだけど「本当に今自分が自由で、理想の姿(容姿でも性格でも、心から尊敬しあえる友達がいるとか何でもいい)になって、自分自身の意思を誰からも否定されない時、果たして自分自身が誰かと恋愛をしたいか?」を考えてみてもいいかも
    その結果が別にAセクでなくて、防衛反応だったんだとしても別にいいんだと思う 「それくらい傷ついてきたんだろうな」と個人的には感じるし、それを責めようとか全然思わない
    あと「どうせ自分なんか」という気持ちは無理に恋愛をすることではなく、「自分が何を嫌で、何が好きなのか」という気持ちを自分で認めて否定しないことが一番大事なんだな、と最近はしみじみ思うようになったので……余計なお節介だったら申し訳ないけど、どうか自分の気持ちを大切に
  • スレ主(5yL801)2月27日
    返信先: @BnbVu2さん とても参考になるアドバイスありがとうございます…!!「好きなキャラにセイ的な目で見られた時の気持ち」と言われてなるほど、と想像してみたのですが、多分好きなキャラ相手ならそういう関係を持てるのは嬉しいとは思うけど、当然築いてきた信頼関係や絆などは全くない相手なので、やはり違和感は感じてしまうのかな…と思いました。恐らく自分は、セイ行為よりも精神的な「好き」や安心できる関係性などを重視する方なのかもしれません。→
  • スレ主(5yL801)2月27日
    返信先: @自分 自分もそうした経験を一度無理にでもしておくべきなのか…と悩んでいた時に、自分にとってとても嫌な世界に踏み込んでいかなきゃいけないような不快感を感じていたのですが、BnbVu2さんがやりたくない恋愛を無理にしようとして余計に嫌だと感じた感覚とか、それをやめた時に自分らしさを感じられた感覚とかすごくわかる気がして、それを聞いて自分も自分の好きなようにしているのが一番いいんだ、という気持ちになりました。
    自分が理想の環境と容姿と精神状態に恵まれていたとしたら…というのを想像しても、やはりそれでも自分はあまりそういうことには興味ないのかな…って気がします。
    貴重な体験談と親身なアドバイスをくださって、本当にありがとうございます。
  • BnbVu22月27日
    返信先: @5yL801さん こちらこそ返信ありがとうございます!お役に立てたならよかったです
    なるほど、そうなんですね 私も「自分にとって一番重要視する好き」とは何だろうか?と考えたとき、セイ的なことは全く思い浮かびませんでした どちらかと言うとソファに隣り合って座った時に肩の力を抜けるような、それこそ安心できる関係がいいなと思ったのを覚えているので、何となくスレ主さんの「好き」の感覚はわかる!ように思います
    自分で自分の気持ちを認めるとか否定しないって、過去にそうしてもらえなかった経験があると本当にそうできるようになるまですごく大変だとは思うのですが(こんなことを書いておいてあれなんですが……私は理想の自分になりたいがために、自分自身に対しても「◯◯なら××できるはず」「私はこんな醜いこと(誰かへの嫉妬など)は思ってない、思ってはいけない」と気持ちを取り繕ったり、自分の本音を押さえつけることが日常化していたので)→
  • BnbVu22月27日
    返信先: @自分 →本当に自分の気持ちを否定しないで生きるのが一番だなと思うので セイ的指向に関しても
    仮にAセクでなかったとしても、セイ的なことをしたくない権利は誰にでも存在するし、どうかご自愛してくださいね
    (ちなみに恋愛する指向の人で親から自分の欲しい愛情を求めても貰えなかった場合、恋愛にそれを求めることはそこそこあるそうです 世の中では恋愛って「お互いにすごく特別で何でも許しあえるし、いくらでも独占欲を発揮してOKな関係」とされやすいので、ある意味親と子(もっと言えば幼児かな)の関係に似ているのでしょうね 
    だから多分欲しかった愛情をもらえなかった人に対して「恋愛をしろ」と言う人が一定数いるんじゃないかと個人的には思っています 最もそういう場合も根本的に必要なのは恋愛ではなく、必要ならカウセリングを受けるとか、そういう場所で自分の気持ちを否定しない、自分で認める練習をすることかなあと思います)
  • スレ主(5yL801)2月27日
    返信先: @BnbVu2さん >ソファに隣り合った時に安心して過ごせる関係 これめちゃくちゃわかります…!セイ的な関係を求めるにしてもそれはあくまで延長線上のことで、まずは一緒にいて安心できる関係性や距離感を求めたくなるんですよね、「この人なら触れられても大丈夫」みたいな
    自分の本音を抑えつけてしまって自分に完璧を求めてしまう感覚もわかります。私の場合いわゆるアンフェ思考の兄の顔色を窺って思考を支配されるような状況が子供の頃から長年続いていたので、今はそこから逃げて数年ですが、少しずつ自分自身の気持ちを手探りで探っているような状態です。
    親の愛情を得られなかった人が恋愛依存になったり子供を産んで自分の精神不安定を癒そうとする事例もよく聞きますね…!自分の場合は「セイ的な見返りを求めてくる男じゃなくてありのまま愛してくれる父親が欲しいんだ」と固執してしまってるのでアレですが(汗)多分どっちにしろ、他者に依存するだけでは根本的な解決はしないのだろうな…と思います。