ダブルマイノリティったー
LGBTQIAXなど社会的なマイノリティ要素に加えて、他にも複数のマイノリティ性を抱えている場合をダブルマイノリティというそうです。
ダブルマイノリティゆえの考えていること、困っていること、辛さを吐き出したい、もしくは「こういうことで困ってるからこうなってほしい」と言える場所としてご活用下さい。
【他にOKなこと】
①ダブルマイノリティについて描いた作品(アニメ・漫画・ゲーム・映画・舞台なんでも可)の紹介
②自分の抱えているどちらかのマイノリティについて「読んでよかった」と思う作品や書籍等の紹介
(例:AセクでHSP傾向がある場合、Aセクについてのお薦め本を書き込むなど)
③当事者でなくても「読んでわかりやすかった」「読んでみてこういうことで困っているのかと思った」と思う本などの紹介
※ただしこの場合は【当事者ではない】旨の記載を必ずお願いします。
④「この本役立ちそうだから読んでみようかな」のメモ代わりにする
⑤役立ちそうな社会福祉についての記載
【ルール】
①他人の書き込みに噛み付いたり、差別、罵詈雑言、暴言、嫌味を言わないこと。その人の困っていることを否定をしないこと。そして「そんなの普通だよ」「当たり前じゃん」もしくは「普通に囚われすぎてるんだよ、考えすぎ」のような、相手が悩んでいることに対して「普通」という言葉は使わないようお願いします。
普通や考えすぎという言葉で解決できないからこそ、悩みは発生するのだと思います。
②恋愛やセイ的なことに関する辛さの吐き出しもOKとしますが、その場合は「恋愛やセイ的なことに関するので下げる」等の記載をし、詳細は返信欄に書いていただくようお願いします。(セイ嫌悪や恋愛嫌悪のある方もいらっしゃる可能性があるため)
Q.恋愛やセイ的なことに関する記載はどこらへんから下げたほうがいい?
A.セイ的指向、あるいはロマンティック指向に関する説明文としての記載であれば下げなくてもOKとします。
ただし、恋愛そのものやセイ的なことについて具体的に語る場合は下げるようにして下さい。
『具体的』の範囲→「自分が他人にセイ的or恋愛的に興味がある、恋愛に関する関係の辛かったこと、セイ的な関係で辛かったこと」等。
例文→セイ指向orロマンティック指向が××です、××とはセイ的orロマンティック的に惹かれる対象が△△のこと。以下、恋愛orセイ的なことに関するので下げる。(具体的に話したい内容を返信欄に記載ください)
③いじめや暴力に関する吐き出しをされたい場合もOKですが、②と同じように「暴力に関することなので下げる」等の記載をし、詳細は返信欄に書いていただくようお願いします。(PTSDのある方もいらっしゃる可能性があるため)
④②や③以外であれば、別に下げなくてもかまいません。単純に長文になってしまった、いわゆるこれはお気持ち長文ではないかと悩まれる場合もあるかもしれませんが、気にせず下げずに書いて大丈夫です。気持ちを整理するためのttersになればいいなとも思うので、お気持ちはむしろ歓迎とします。ただし、他人を攻撃したり差別的な書き込みはおやめ下さい。攻撃的や差別的な書き込みは下げても駄目です。
あくまで「今まで気付かなかったけど、こういうことで困ってる人がいるんだな」等相手を尊重する精神でお使い頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。
ダブルマイノリティゆえの考えていること、困っていること、辛さを吐き出したい、もしくは「こういうことで困ってるからこうなってほしい」と言える場所としてご活用下さい。
【他にOKなこと】
①ダブルマイノリティについて描いた作品(アニメ・漫画・ゲーム・映画・舞台なんでも可)の紹介
②自分の抱えているどちらかのマイノリティについて「読んでよかった」と思う作品や書籍等の紹介
(例:AセクでHSP傾向がある場合、Aセクについてのお薦め本を書き込むなど)
③当事者でなくても「読んでわかりやすかった」「読んでみてこういうことで困っているのかと思った」と思う本などの紹介
※ただしこの場合は【当事者ではない】旨の記載を必ずお願いします。
④「この本役立ちそうだから読んでみようかな」のメモ代わりにする
⑤役立ちそうな社会福祉についての記載
【ルール】
①他人の書き込みに噛み付いたり、差別、罵詈雑言、暴言、嫌味を言わないこと。その人の困っていることを否定をしないこと。そして「そんなの普通だよ」「当たり前じゃん」もしくは「普通に囚われすぎてるんだよ、考えすぎ」のような、相手が悩んでいることに対して「普通」という言葉は使わないようお願いします。
普通や考えすぎという言葉で解決できないからこそ、悩みは発生するのだと思います。
②恋愛やセイ的なことに関する辛さの吐き出しもOKとしますが、その場合は「恋愛やセイ的なことに関するので下げる」等の記載をし、詳細は返信欄に書いていただくようお願いします。(セイ嫌悪や恋愛嫌悪のある方もいらっしゃる可能性があるため)
Q.恋愛やセイ的なことに関する記載はどこらへんから下げたほうがいい?
A.セイ的指向、あるいはロマンティック指向に関する説明文としての記載であれば下げなくてもOKとします。
ただし、恋愛そのものやセイ的なことについて具体的に語る場合は下げるようにして下さい。
『具体的』の範囲→「自分が他人にセイ的or恋愛的に興味がある、恋愛に関する関係の辛かったこと、セイ的な関係で辛かったこと」等。
例文→セイ指向orロマンティック指向が××です、××とはセイ的orロマンティック的に惹かれる対象が△△のこと。以下、恋愛orセイ的なことに関するので下げる。(具体的に話したい内容を返信欄に記載ください)
③いじめや暴力に関する吐き出しをされたい場合もOKですが、②と同じように「暴力に関することなので下げる」等の記載をし、詳細は返信欄に書いていただくようお願いします。(PTSDのある方もいらっしゃる可能性があるため)
④②や③以外であれば、別に下げなくてもかまいません。単純に長文になってしまった、いわゆるこれはお気持ち長文ではないかと悩まれる場合もあるかもしれませんが、気にせず下げずに書いて大丈夫です。気持ちを整理するためのttersになればいいなとも思うので、お気持ちはむしろ歓迎とします。ただし、他人を攻撃したり差別的な書き込みはおやめ下さい。攻撃的や差別的な書き込みは下げても駄目です。
あくまで「今まで気付かなかったけど、こういうことで困ってる人がいるんだな」等相手を尊重する精神でお使い頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。
ダブルマイノリティったーのアーカイブを表示しています
今度見てみよう
何でかっていうと、自分の体に違和感はないし、例えばトイレに入る時やロッカーで着替える時、トイレの性別や、周りで着替えてる人は自分の同性だという意識もあったから
ただ何かこう、「私」と「俺」の二つの意識が自分の中にあるような感覚はあるんだよね
何言ってるのか謎だと思うんだけど、「私」の意識の時はどちらかと言うと感情の起伏が穏やかで柔らかい時、「俺」の意識は感情の起伏が激しい時で強い感じの時にスイッチが切り替わるような感じがある でどっちも自分の感覚があるんだけど、別にどちらの意識をはっきりと女性に根ざしてるとか、男性に根ざしてるとかも思わない 性別というより音程の強弱をはっきりイメージする感覚に近い
いやでも「私」が柔らかくて「俺」が強い感じなら、これは結局ジェンダーバイアスに影響されてることになるのか?とも悩んだりして
で「もう◯◯歳なんだからしっかりしなきゃ」「大人なんだから」と自分に言い聞かせながら働く人も多い
でもこれは裏を返せば「自分は◯◯歳なのにこれができないorできてない」「未熟だ」とか自分を責める言葉になり得る
もともと人間が何かの能力を発揮するのは年齢によるものではなく、経験やその人の心身の体調とかに左右されるはずなのに、みんな一律で同じだと思ってる
こういう意識もマイノリティになればなるほど生きづらい原因の一つじゃないかと思う
でも仮にそういう「同じ立場にしてやった、こんだけ辛いんだよわかったか!」みたいなのをやったところで、世の中に増えるのはトラウマを抱えた人間であって、問題の本質を理解した人間ではないんだよなと思う
こちらから何かを伝えた時、相手が萎縮しているから自分に否定的な言葉を返さないのか、言ったことを理解しているから自分に否定的な言葉を返さないのかでは全然意味合いが違うように
だからこそ、そういう意味でも冷静に、相手を貶めるような話し方をしないことは大事だと思う
新たに決まりを作ったというよりは、気にされる方がいるかもしれないと考えたので明文化したものになります。
よろしくお願いします。
自分の場合は、孤独感が募るわ将来への不安で「人生がこれから良くなることはあるんだろうか(もしくはこれから先悪くなっていくばかりじゃないか)」と考えたり、「もうそうなるくらいだったら、いっそ今shiんだ方がマシなんじゃないか」と考えてしまうことがある
「どうせ何をどう努力したって理解されないし、社会の役立たずみたいな感じで扱われるんでしょ」みたいな諦観が捨て切れないというか
普段どうにか頑張って生きようとしても、ふとした拍子にそういうスイッチが入ってすごい辛い
今はギリギリ「逆に考えればいつでもshiねるんだから、マイノリティが生きやすくなる社会を作るために自分にできることは全部やろう」と思うことでどうにかなってるけど
本当は「生きてて人生楽しい!」って言いたい
ファンフィク(映画)を見た
主人公のトシア(女性名)が自分はトシェク(男性名)だったと知り、レオン(ゲイの男の子)と恋愛したり、周囲と連帯する話
トシアだった頃はもう本当に全てにイラついてる感じなんだけど、トシェクになった後が本当の自分になったんだなと思えてすごく良かった
シスジェンダーだけど、自分のセイ的指向を自認するまで非常に苦しかったのを思い出した
そしてこの映画のいいなと思ったところは、当事者が「周囲に受け入れられなくても」運命の相手と出会ったからハッピーエンド、なんじゃなくて、周りから受け入れられる描写があり、トシェクが長年ギクシャクしていたお父さんとも寄り添う関係に戻れるところ
セイ的指向は本当にセイに関することだけで完結することはなくて、社会の色んなことに影響するしされるよなと常々思ってるけど、自認もそうなんだろうなと改めて思った
(ちなみにトシェクを演じている方はノンバイナリーらしい)
正直物事を楽しむハードルが上がった感覚はあるし、今までの自分の一部との決別めいた感覚もある 若干のしんどさというか
でもこういう「社会をよくするには自分に何が出来るのか」を考えている方が……何ていうか自分にしっくりくる
なのでもう少し頑張ろうと思う
確認は必要だけど、自分がしたい事・してもらって嬉しい事じゃなくてその場に居る人たちが醸し出してる望みを上手くまとめたものを目指そうとするから自分の希望が後回し…というか、その場での自分の希望がみんながなるべく望んでる方向に行くことになってしまうのだけど…どうしたら自分の希望が先にその場で分かるようになるんだろう?
子供編にはセクマイについても記載がある様子なので、そちらも合わせて読みたいところ
何故この映画をここに書いたかと言うと、自助努力や自己責任というものが謳われて久しい社会の歪みを、すごく描いた作品だと思ったから
これはまあ超高齢化社会になって75歳以上からは自分で人生をおしまいにできるか否かが選べるようになる、というもの
怖いのは死を勧めるプランが、すごく優しい感じを装ってて「苦痛のない死を」みたいな空気なんだよ でもこれは不治の病にかかっててあとは死を待つのみだから苦痛を軽減しましょうね、ではなく「社会の役に立てなくなったので捨てる」ということに他ならないんだ
でもさ、人生ってそういうものじゃないでしょ
ネット上ではよく「社会的弱者のせいで割をくう俺たち」みたいなふうに叩く風潮があるけど、そういう立場に置かれている人は(老人に限らずね)「俺たちを苦しめるコンテンツ」ではない
一人一人生きている人間なんだよ、そして他人を尊重しない社会に守るべき未来なんかないと観てて強く思った
発達障害なわたしたち、読んだ
作者と編集の方も当事者で、身の回りの当事者の人達にインタビューしてる形式のエッセイ漫画
こういうことに困ってるとか、あるいはライフハックとして困りごとにこう対処してるとかそういうのが紹介されててわかりやすかった
あと全然暗い空気の漫画ではない 「こういう◯◯ない?」「あるー!」みたいな感じで読みやすかった
「もう今日は人間と関わりません閉店です、人間のキャパオーバーです」みたいな
ゴミのように床でベチャッとなってても怒んないでほしい、みたいな感じもある
なので休みの日に初対面の人に会うような予定があると「また人間のふりしなきゃ……」みたいな気持ちになってプレッシャーがすごい
こうなると同じセイ的指向の人達との交流会とかのハードルが死ぬほど高いんだよね……行った方がいいのは分かってるけど「ちゃんとした感じで来るだろうからちゃんとしなきゃ」とか「繊細すぎとか言われたらどうしよう」とか頭の中がぐるぐるしてもうそれだけで疲れる
カウンセリングとかしてこれでもだいぶマシにはなったけど、なかなか開き直りきれないところはある
作品の出来自体は良かったし個人的には好きなんだけど、「マイノリティはマジョリティの役に立たないと存在を認めてもらえない図式がある」みたいな感じのコメントをにハッとした
確かにそういうの、マジョリティの中のマイノリティを扱った作品ではあるよなあというか……こう「マイノリティだってヒーローになれるんだ!」という子供達に夢を持たせるような作品って考えてみたらそういう「役に立つ」という言葉と表裏一体で、だからこそマイノリティ要素が複数あればあるほど生きづらさのレベルが上がることの一因なのかも、と思うと「自分らしく生きる」ってなんて大変なことなんだろうかと考えてしまった
別件だけど当事者の方が「ハンデは美化されやすい」という言葉もずっと頭の中でひっかかってる
半分姉弟という漫画を読んだ
いわゆる世間一般でハーフと呼ばれている人達を描いた漫画なんだけど、そのハーフと呼ばれることの生きづらさについて語られている
1と2が当事者からで、3が当事者ではない人の視点なんだけど
確かにこういう「ハーフだから英語ペラペラなんでしょ?」とか逆に「えーハーフに見えない」とか、そういう言葉って世の中にまだいっぱいある気がする
「外国に行って一時的に異物扱いされるのと、生まれ育った場所で死ぬまで異物扱いされるのは違う」という旨の言葉にハッとしたり
自分はセイ的指向がマジョリティでないことに散々悩んだし、紛れもなく自分の一部であることを異物として否定されるのが非常に苦しかった気持ちを思い出して、完全には理解できないけど想像はできるな、と思った
3話は「何が差別になるのかわからなくなってしまった」側の話なので、4話でどうなるんだろうかと思ってる