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参考:
岩の神について……
私は神々を裁く、これは何者にも変えられない。岩の大権を勝ち取った貴金の神も、当然ながら裁かれる側だ。もし、我らの争いを見たくない者がいたとしても、心配する必要はない。私はまだ、フォンテーヌに居続ける必要がある。その訪れが四百年以上先になることだってあり得るだろう。それに最終的な裁決が、必ずしも武力戦争に繋がるとは限らない。
風の神について……
たとえ天地がひっくり返ろうとも、七神に対する私の裁きを止めることはできない。そよ風と希望の神は風の大権を得たが、彼もまた審判を受ける必要がある.…..ほとんどただの酔っぱらいで、もう危険性はない、と?ふむ、まずは会ってみなければな。
雷の神について……
龍の力をすべて取り戻した生き残りとして、たとえ一切の海水が天に逆行させられようとも、私は「誓い」と「責任」を果たさなければならない。鳴神は雷の大権を勝ち取ったゆえ、僭主の列に名を刻むことになる。ふむ…..彼女は今、一心浄土に閉じこもっていて、滅多に姿を現さないと?では、数百年後に会いに行ってみるとしよう。
草の神について……
たとえ将来、彼女を審判する日が訪れようとも、草木の神が持つ責任感は認めよう。この世に完璧な人間や事柄はほぼ存在し得ない。だが、あの神の「傾倒」と「寵愛」は、責任を担う者が前へと進み続けてきたことを証明している。彼女は約五百年もの間、冷遇され続けたと聞いた。彼女が置かれてきた環境は実に遺憾に思う。 -
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自分の解釈は水龍の立場として裁く責務がありそれを放棄するつもりは無いが、あくまで大権を得たことに関しての裁きであって個人的な恨みがあるわけではないのでフォンテーヌの維持より優先させるつもりもないって感じですかね…
態度の違いは風岩雷は代替わりしてないので当事者=裁かなければならない存在だけど罰するかどうかは会ってから決める、草は世界樹の改変で初代扱いになっているもの弱体化しているので既に大権は失われているものとして裁き自体も考慮するってことなのかなと思ってます -
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自分は
・岩風雷に対しての前半の強い口調は龍王として、後半はヌヴィレット個人として言っている
・雷神に対しての台詞では裁くのは力を取り戻した龍としての「誓い」と「責任」があるからと言っているので龍としては何がなんでも裁く。その一方で岩神に対してでは裁くことよりもフォンテーヌに居続けることを優先しているので優先順位はフォンテーヌの方が高い。だけど何時かは絶対に裁くからな
って解釈です
神は長命なので何時でも裁ける。だから今はフォンテーヌを優先しよう、みたいな
龍としての「責任」から神を裁く、最高審判官としてフォンテーヌ人を審判したという「責任」からフォンテーヌの面倒を見るという二つの立場と責任があって今は最高審判官の方の立場と「責任」を優先しているのかなと
草神に対しての発言は神を全否定している訳ではないってことが言いたかったのかなと解釈してます
あとヌヴィレットは本人に直接話を聞いてからどうするのか判断する事が裁きだと思っているけど、ユーザーは鉄槌を下す事が裁きだと思ってるという感じで裁きに対する考え方が違うのではないかと思ってます -
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七神への裁きは優先順位が高くない(少なくとも最優先ではない)、ということですね
言われてみれば雷神の代替わりについてはヌヴィレットは知らなくても不思議ではありませんね
だから(ヌヴィレットの知る範囲で)初代組と代替わり組で反応が違う、というのは確かに有りえそうです、ありがとうございます
ただ、草神について弱体化してるから大権は失われているものとする、はちょっと分かりません…依然として草神は古龍の大権を持っていると思うのですが…
仮にそれが事実だとしても、審判そのものをしないというのはちょっと考えにくいです -
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なるほど、上の方も仰っていたことですが、どうやらヌヴィレットとしてはフォンテーヌの最高審判官としての活動が優先度高、龍王としての活動は優先度低である、と解釈すると良さそうですね
「草神に対しては神を全否定している訳ではないってことが言いたかった」については少し納得しかねます
上記の解釈に沿わせるなら、ヌヴィレットのボイスでは草神のみ肯定、他三神は否定、というふうにしかなりませんが、草神のみ肯定的になる理由も良く分からないので…(上の方の解釈と合わせるなら代替わりしてるのでセーフ判定?)
また、私もヌヴィレットの言う「裁き」が審判で有罪・無罪を定めることなのか、それとも刑を執行することなのかは考えたのですが、文脈からして後者と判断しています
本件の七神宛のボイスにおいては、「裁き」は刑の執行、「審判」は量刑を決めること、という意味で解釈した方が自然だと思います
おそらくヌヴィレット的には七神となった時点で有罪は確定なのではないかと
それに、「本人に直接話を聞いてから判断する事が裁き」と解釈するならば、なおのこと会う前から既に七神に対するスタンスに差があることが不自然に思えます -
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草神については世界樹の改変により先代・マハールッカデヴァータの存在が抹消され、クラクサナリデビが世界樹を救ったことにより弱体化してしまったため失望した民から冷遇されたと歴史が置き換わっていたはずなので、ヌヴィレットから見た場合『草神は古龍の大権を持っていたが、既にその力をテイワット全体の危機を救うために使い果たし、その結果、自国での冷遇という公平に欠ける罰を受けている』という認識なのではないかというのが自分の考えです -
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龍王であるが故に草神の代替わりを知っていたとしたらそこそこ辻褄が合うかと思ったのですが、難しいですね
やはりキャラストに書いてある通り、世界の現在の主(天理?)が定めた「運命」に加わり命を星座を得た以上、世界樹による改変の影響も受けていると考えた方が良いのかもしれません…
「草神は古龍の大権を持っていたが、既にその力を使い果した」という認識をヌヴィレットが持っている、というのは成程あるかも知れません!なかなか納得できそうです
まず私は草神の弱体化と古龍の大権の相関は無いと考えています(なので一つ前の書き込みでは頂いた意見に懐疑的でした)
そもそもマハールッカデヴァータが大人の姿から子どもの姿になったのはキングデシェレトがいた頃、つまり恐らく魔神戦争中であり、そうすると当然古龍の大権は関係ありません
似た例としてマルコシアスも自らの力を使い果たすことで姿が小さくなり知能も大幅に低下しましたが、言うまでもなく古龍の大権とは無関係であることから上記の推測は妥当だと思います
しかし、ヌヴィレットはそう認識していない、というのは有り得ると思います
彼は魔神任務中に「七神の権能は奪った力によるもの」と旅人に説明しており、七神が古龍の大権とは別に魔神として持つ独自の権能(例えばブエルなら世界樹へのアクセス権、ヘウリアなら無限塩製造)を行使できるということに疎そうでした
よって「七神の力は全て古龍の大権由来」とヌヴィレットが考えているなら、草神の弱体化は即ち大権の減衰であると(事実は不明にせよ)ヌヴィレットが考えてもおかしくはないですね
テイワットを守るために古龍の大権を使い果たしたのならそれに免じて許してやろう、と なるほど……
それでもやはり直接の審判により「状況を鑑みてこれ以上の罰は与えない」等の判定を下すことは必要ではないかと思うのですが、このあたりはもう少し考えてみます! -
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絶対何がなんでも裁くけど後回し、というのが私には納得しづらい表現だったのだと気付きました
この部分でどうにも「結局やる気はあるのか?ないのか?」と引っ掛かっていたようです
「(フォンテーヌのために)後回しにする、しかしいずれ絶対裁く」というように、台詞の構成順序を逆にして考えるとわりと納得できました
私の結論として、「責務として絶対に審判自体は行うが、最終的に情状酌量込み込みの甘めの裁決になりそう」という解釈でいけそうです
対草神ボイスについてはまだ考える必要がありますが、
①ヌヴィレットが雷神の代替わりを知らず、かつ草神の代替わりを知っていると仮定して、代替わりの有無で対応が変わっている
②草神がテイワットを守った結果弱体化しているために対応が違う
これらの説がとっかかりになりそうです
ありがとうございました -
各台詞の後半部分を聞くと先延ばしにして最終的に穏便に済ますのでは、と感じるのですが、それで納得するには(対風岩雷の)前半部分に強い表現を使い過ぎていて、これを無視するのは難しいと思いました
また、草の神に対して「たとえ審判する日が訪れようとも」という言い方をしているのが気になります
これだとまるで審判の日が来ないことが前提、審判する方が例外処理かのようです
やる気あり・なしどっちでも解釈できるというかどっちで解釈しても据わりが悪く感じるというか……いまいち温度感が分かりません
一応下にテキストを載せておくので、どう解釈したか教えてもらえればありがたいです!